“横手やきそば”というやきそばをご存知ですか?
静岡県富士宮市の富士宮やきそば、群馬県太田市の太田焼きそばと並ぶ、日本三大やきそばの一つで、太くてまっすぐなゆで麺と、麺の上には目玉焼き、そして添えられているのは福神漬けといったやきそばです。
また、今ではすっかり有名になっている、B級グルメの大会、Bー1グランプリで、優勝1回、準優勝1回を受賞しているやきそばでもあります。
横手やきそばの発祥の地は、秋田県の南部に位置する秋田県横手市で、自然が多く、「かまくら」で有名な場所です。
横手やきそば(2人前入)
横手やきそばの始まりは、昭和20年頃になります。
当時、横手市内でやきそば屋をしていた店主が、屋台でやきそばを焼くのに、早く焼ける良い方法はないかと、地元の製麺業者に相談をもちかけたところ、通常やきそばに使用する麺は「蒸し麺」ですが、「茹で麺」を使用したらどうかということから始まりました。
「蒸し麺」で作られるやきそばは、麺が固くソースが絡みにくいため、5~6分の調理時間がかかってしまいます。
それに比べ「茹で麺」はもともと茹でてあるので、半調理状態となっていて、麺にソースが絡みやすく、2~3分で調理ができ、時間短縮にもなります。
しかし、当時は今の横手やきそばとは違い、目玉焼きをのせるといったことはなく、福神漬けではなく、一般のやきそばと同じ、紅しょうが添えられていたそうです。
昭和30年頃、この「茹で麺」は調理が簡単として爆発的に普及し、昭和30年の前半だけで、横手市内のやきそばを扱う店は100店舗にまで増えたそうです。
そして、当時の子供たちは、おやつを買いに駄菓子屋に行き、そこで販売されているやきそばを、おやつ代わりに食べていたそうです。
調理が簡単なことから、やきそば専門店ではなく、こういった子供が集まる駄菓子屋でも調理をし、販売をしていたそうです。
このように、「子供が食べるから」ということから、やきそばに添えられるのは、紅しょうがではなく、子供たちが食べやすい福神漬けになったそうです。
しかし、昭和40年頃、横手市内では保健所が厳しくなり、衛生などの面から、駄菓子屋では調理、販売が難しくなり、次第に駄菓子屋からやきそばは消えていったそうです。
こうして、いったんは終息したやきそばですが、「子供はお昼にやきそばを食べる。」と、再びやきそばが広がり、麺は太くてまっすぐとした茹で麺、具材は豚ひき肉、キャベツ、ソースはウスターソースにオリジナルのだしを加えた甘めのソース、紅しょうがではなく、福神漬けを添えるといった、当時は肉玉と呼ばれていた、横手やきそばが誕生しました。
平成12年頃、横手市では、この横手やきそばで、町おこしのために何かできないかと、考えていたそうです。
しかし、昭和20年頃から横手市で食べられているやきそばを町おこしに使ったって、しょうがないのではないかという意見の方が多かったそうです。
ところが、当時観光課の担当の方が、東京にある秋田県の東京事務所に行ったとき、東京で販売されているやきそばを食べたそうです。
そして、ソースの味、豚バラ肉、にんじんなどの具材が入っていること、また、紅しょうがが添えられていることに大変驚き、「こんなやきそばは食べたことがない。横手のやきそばとは違う。」と、当時のツイッターのようなものを使用しウェブ上でコメントを載せたそうです。
そのコメントに気が付いた読売新聞の記者が「いったい横手のやきそばはどのようなものなの?」というのをきっかけに、地元の人たちが当たり前のように食べていた横手やきそばは、他の地区では当たり前ではないことが分かり、これは町おこしになると、“肉玉”と呼ばれていたやきそばを“横手やきそば”と名付け、このときの観光課の方がやきそば担当となり、町おこしとして、他の地域へとPRを始めました。
当初のPRは、横手やきそばを扱う店舗の店先に「やきそばか?」というのれんを付けました。
そして、横手やきそばをこよなく愛す人たちの集まり50人で横手やきそば研究会を発足し、その半年後には、やきそば店の店主たちの集まった、横手やきそば暖簾会(のれんかい)を発足しました。
横手やきそばが有名になる1つのきっかけにもなったのは、Bー1グランプリがあります。
Bー1グランプリは、B級ご当地グルメといって、安くて、美味しくって、地元の人に愛されている地域の名物料理や郷土料理の日本一を決める大会で、2006年から毎年1回、今までに5回開かれています。
横手やきそばは5回の全ての大会に参加をし、第1回の八戸大会では準優勝のシルバーグランプリ、第4回目の横手大会では優勝のゴールドグランプリを獲得しました。
第1回目の大会では、参加団体10団体、来場者数17000人だったのに対し、第5回目の大会では、参加団体46団体、来場者数435000人と、参加団体、来場者数とも数を増やし、これだけB級グルメが注目されていることが分かります。
また横手市では、横手やきそばの品質の底上げを目的として、「横手やきそば四天王決勝戦」が年に1度行われます。
これは、横手やきそば暖簾会に加盟している51店舗のやきそば店で競われる大会で、公募で集めた覆面の調査員により、味、麺の焼き加減、接客、価格など、加盟店全てを2ヶ月間かけて厳しく調査をしてもらい、ここで選ばれた上位10店舗が決勝戦により4店舗にしぼられ、この4店舗が横手やきそばの「四天王店」として、名乗ることができ、店先には「四天王店」と書かれたのぼりが飾られます。
2011年に公募された覆面調査員は108人、食べ歩きにかかった費用は、全て覆面調査員の実費で行っています。
ご家庭で作れる横手やきそばをKEIHOKUに納めてくださっている、三浦商店の三浦社長と三浦常務は、ご兄弟で三浦商店を経営されています。
そして、三浦社長は、横手やきそば暖簾会の専務理事をされていて、横手やきそばを全国に広げる活動をされています。
取材のとき、2軒のやきそば屋で横手やきそばを味わいました。
1軒目は三浦常務が小さいときから食べていたというお店です。
目玉焼きと豚肉がドーンと麺の上にのせられ、ボリュームたっぷり、店オリジナルのソースと、青海苔をかけていただきました。
横手やきそばのソースには、ウスターソースにその店オリジナルのダシが入っているそうで、まろやかな味がしました。
目玉焼きと絡めて食べる麺もおいしいかったです。
あとから知ったのですが、私がここで食べた横手やきそばは特製。
麺が通常の2倍あるというものでした。
もちろん完食しました。
2軒目の店は、取材の途中で見付けたお店です。
定番の横手やきそばの他に、ホルモン入り横手やきそばや、イカ墨海草横手やきそばがありました。
オリジナルの横手やきそばを出されている店もあることに驚きました。
ここでは青海苔のかわりにあおさをかけて食べました。
もっちりとコシがある麺が美味しかったです。
横手市では、横手やきそば暖簾会の加盟店の証である、「横手やきそば」ののぼりが多数見られました。
そして、四天王となった店舗には、店の中にお客様が入りきれず、外で待つ方々も多く見られました。
昭和20年から横手市の方々に食べ続けられてきた横手やきそば。
麺の上に目玉焼きをのせ、福神漬けを添えて、ご家庭でもぜひ味わっていただきたいです。
横手焼きそばの普及に努めている三浦社長
三浦常務に案内していただきました。
三浦商店様を訪問しお話を伺いました。
試食する取材班
三浦商店様と取材班
KEIHOKU柏店の店頭でも実演販売をしました。
試食したお店のメニューは焼きそばだけでした。
横手焼きそばの特徴は「茹で麺」を使用することです。
ここからKEIHOKU各店に届けていただいています。